子育てはなぜ大変なのか

子育て親育ち

子育てをしていて思うのは、本当に子どもって大変、ということです。

私だけでなく子育てをしているすべての方が感じていることではないでしょうか。

では、何でこんなに大変なのでしょう。

振り返ってみると

私は2人の子を育て、今はそれぞれが独立しています。今でも、心配したり、声をかけたり、お菜を届けたり、世話をしたり、手助けをしたり、、、、。でも、いわゆる子育て時代に比べると、本当に、何もしなくなりました。

考えてみると、子どもが赤ん坊の頃は物理的に時間が取られました。食べさせるのも寝かせるのも着替えさせるのも移動も全て親が全てしなくてはいけません。世話をしている間は自分のことができませんから、赤ん坊と自分が、生きているだけのために、ほぼ一日を費やすのです。そりゃあ、大変です。

少し大きくなると、今度は後始末と準備に手間と時間がかかりました。

自分で食べる、自分で着替える(できないけれど、自分でしたい気持ちになる)、自分で歩く。

子どもが主人公

食べるのも、着替えるのも、遊ぶのも自分が主体です。でも、気持ちよく食べていただくためには、食べたいと子どもが思う時間までに食事の用意ができていること、食べている間はこぼれてもひっくり返っても大丈夫なようにしておくこと、食べ終わったらすぐに後始末をすることなどが大事になってきます。そうでないと、「食べたいと思ったのに食べられない」「自分の食べたいように食べたいのに、思うようにできない」「食べた後の食器や食べ残しをコネコネして遊びたい」という欲求が出てきて、それを止めたりするために、大変な労力を要することになります。

ここに、トイレ問題、排泄のしつけや、社会的なルールの伝授問題が関わってきます。例えば、家の外は車が走っている場合があるから、急には飛び出さないとか、そういったことを、家の中でも外でも繰り返し言い聞かせていかねばなりません。

子をそだてるということ

命を守ることと、命を育くむこと、そうして人として社会と関わることを一日中、教え諭し、実行しているのです。

一言で言うと、身辺自立を促すということでしょうか。人として暮らしていく技法を身につける、ということともいえます。そして、そこにプラスされるのが、人として関わる力をつけること。

そりゃあ、大変な仕事です。

子どもが大きくなると、今度はしつけや教育という問題が生じます。

子どもは「三つ、五つ、九つ」などの「つ」がつくまでの間にしつけをせよ、とよく言われます。

十歳になるまでは、「〇〇の時は〇〇する」と言って聞かせると言うことです。

「食事が終わるまでは立ち上がらない」「人に何かをしてもらったらありがとうと言う」「外から帰ったら手洗いうがいをする」などなど。

命を守るためのこと、命を育むこともありますが、しつけの場合は、社会との関わりや人として自立していくための初歩的なことが含まれていきます。

しかし、よくしたもので、「つ」のつく間は、「〇〇する」と伝えていけばいいので、親は淡々とそのルールに従っていけばいいわけです。

例えば、「食事の間は座っている」というルールを決めたとしましょう。「いただきます」をして「ごちそうさまでした」を言うまでは座っているというルールです。またもう一つルールがあり、「学校関係のプリントは気げついた時にすぐに出すこと」があったとしましょう。

しつけとは、何でしょう

「つ」がつく歳までは、「そう言うもんです」で押し通せますが、十歳になると意味を説明しなくてはいけなくなります。

これが結構ややこしい。

何か事件が起こった時、「食事中は席を立たない」はどうするのか。もちろん、地震があれば身を守る行動をとるわけですから、このルールを守る必要はないわけですが、例えば台所にある塩をとりにいくのはよくて、ちょっと鞄の中が気になって見にいくのは駄目、その根拠はというと、少し難しい。だって、食卓で学校のことが話題になっていて、そうだプリントを渡さなくてはと思いついた時、もう一つのルール、「気がついた時にすぐに出すこと」がある。

臨機応変にすればいいのですけれど、一つ一つ、理由がありその根拠によってルールを決めている場合は、塩やプリントはOKで宿題のわからないと所を尋ねるのは駄目、などとだんだん細分化されていってしまいます。

大人だって、大体のルールは把握していますが、その枠を大きく外れない程度で、その場に応じて行動しているわけです。これができるのは、おおまかなルールは「そういうものだから」といった一般的な常識で成り立っているからなのです。

でも、一般的な常識って何?と言われれば、はっきり言ってよくわかりません。

だからこそ、一般的な常識ぽいことは、「そういうもんです」としておく方が、言う方も守る方も融通がききやすいのではないでしょうか。

細かく考えるとややこしいことですが、ある程度「そういうもんです」の線引きがしてあると、後々、修正もききやすいです。つまり、「そういうもんです」という社会のルールの線引きをしていくのが、しつけであると言えるわけですが、これを教えていくのが、また大変です。

教えるというのは、守らせるということです。

繰り返し繰り返し、子どもが泣こうが喚こうが、「そう言うもんです」と伝えていく。

たいへんさは続けるということかも

そりゃあ、体力も忍耐力もいります。智力も揺るがない精神力もいるわけで、これが大変なのですね、実は。

でも、ここを通り抜けていくことで、子どもは自分を律することができるようになるのです。

逆にいえば、ルールを決めてそれを実行していく、それを守り通すことが、本当に大変なのです。はっきり言って、めんどくさいですしね。

こっちの体力がある時だけ守らせたい、という気分になることもありますが、それをすると、全部ガタガタになるのです。気分でルール徹底の基礎を左右しない。

ただ守っていく。

ありがたいことに、幼稚園や保育園などの機関もそういうことをしてくださいます。

一度失敗したから全滅、ということもありません。

ただ、続けていく。

またありがたいことに、一生頑張らなくても、三日、3週間、3ヶ月ほど繰り返していくことで、子どもはルールを守るようになります。

しかし、結局、そうやって続けていくことが、本当に大変なんですよね。

今回はここまで。

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