第9代徳川将軍 家重の話である。家重は生まれつき、身体の麻痺などの障碍があり、話す言葉も明瞭ではなかった。脳性麻痺ではなかったか、と言われているが、当時はそんなこともわからず、その身体の不自由さ、排尿も自分で律することができないこと、言葉のやり取りのできなさから、吉宗の嫡子でありながら、次期将軍にはふさわしくないと考えられていた。
この家重の言葉を聞きとることができる若者がいた。大岡忠光といい大岡越前の血筋に当たる。忠光は自分の私利私欲を排除して、家重に仕えた。
特に、家重の話す内容を周囲に伝える役目であるから、忠光はあるいは己の思うままに、家重の言葉を変えることができる立場にある。周囲の者はその疑いを持たざるをえない。
忠光が家重に仕えるということは、周囲の疑いを晴らし、常に清廉潔白であることを示すということを意味していた。
物語は、史実に沿って、丁寧に語られる。
家重は頭脳は明晰であったが、父の吉宗は次期将軍を誰にするか、迷い悩む。家重も婚礼をするが、跡継ぎに恵まれるかという問題も生じる。そういった中、常に忠光は家重に仕え、家重を支え、家重とともに苦しむのだった。
物語の中で、家重は晩年、「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。そなたに会えるのであれば」と言う。あれほど、自分の身体について悩み苦しみ、数々の侮辱をうけてきたのに、である。この言葉の重さが、ずっしりと胸に迫ってくる。
傑作である、と呼び声が高いが、確かに、と思う作品だ