滋賀県甲賀市にある田村神社は、坂上田村麻呂がお祭りされているそうです。冒頭の写真は、田村神社のホームページから引用しました。
坂上田村麻呂といえば、平安時代、蝦夷を成敗した人物として有名です。
蝦夷というのは、東北の北上川流域、今の岩手県付近に大和政権の勢力県外で独自の文化や生活を送っていた人々のことです。
中央政権側は今の仙台あたりに多賀城を築き、蝦夷征伐を行いましたが、激しい抵抗にあい、その抗争は38年にも及んだと記録に残っています。
そこで平安時代になって、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、ついに蝦夷を討伐したと言われています。
その方が、京都からも蝦夷からも離れた、滋賀県甲賀市、つまり三重県との県境、鈴鹿峠の麓に祀られているのは少し不思議でもありますが、神社は広い境内、厳かな雰囲気の佇まいで、背筋が伸びるようなところです。
厄除けで有名で、境内に流れる御手洗川に歳の数だけ豆を落とすと厄が払えると言われていて、私が訪れた時は、鳩がその豆を食べにやってきていました。
厄除けの由来は、坂上田村麻呂が鈴鹿峠にいた鬼を退治して、村に平和と実りをもたらせたことから来ているとか。鬼退治の時、田村麻呂は矢を放ち、「この矢が落ちたところに私を祀りなさい」と言ったそうです。
広い境内は綺麗に掃き清められていて、とても落ち着く場所でした。
鈴鹿峠は、その昔、都から伊勢へと参宮する交通の要所でもあったそうですので、甲賀市の鈴鹿峠の麓に田村神社があるのもうなずけます。
この神社に行くまで、私は坂上田村麻呂は蝦夷を退治したと言う認識しかありませんでしたが、いろいろ調べると、蝦夷の頭領だった阿弖流為(アテルイ)と副将の母礼(モレ)は坂上田村麻呂に促されて、休戦し上京したことことがわかりました。そういえば以前、京都の清水寺に行った時、その一角に、アテルイとモレの碑があったのを見たことがあります。その時は、なぜこんなところに、と思ったのですが、坂上田村麻呂が関係していたのですね。
歴史はわかってくると、糸がほぐれるように明らかになってくることがあります。そこが面白い。
田村神社も素敵なところでしたが、坂上田村麻呂も興味をそそる人物です。
また、ちょっと調べてみたいものです。